過去の日々 イエスタデイズ僕は君達を忘れない
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就職後

6月12日

とまぁ、引越しも頼りになる風間の兄貴や親父の手助けにより無事済みまして


そうそう、風間の兄貴が引っ越し先の部屋でコーラをぶちまけてくれました


あれですよ


船の入水死期・・・入水式に船にシャンパンをかけるようなもので
そんな祝い方をしてくれました


すまなそうにコーラを拭く兄貴が今も思い浮かびます


んで、ダーリンのママさんが後日来てくれまして色々と物を買っていただきました



そして、4月1日からおいらの病院生活が始まりました



スーツでキメ、更衣室で白衣になり、ナースステーションで申し送りを聞く

看護師長から業務内容等を聞き



オムツ交換へ・・・



御老体のオムツを交換するのですが、なにぶんあまり経験がなく四苦八苦


今ではウンコをちぎっては投げちぎっては投げですが・・・


その日に食堂は食券制で2日前までに券を出さなくてはならないと言われ
この日の昼飯は無しか・・・


と、思いきや

その日の僕の「モノ教え係り」さんがなんとか僕にお昼を食べさせてくれるようにしてくれました



今日の昼飯


カレー




いきなりの壁でした



しかし僕には低すぎる壁です


ぺろりと平らげ午後の休憩です



休憩室ではオバちゃん達が談笑

テレビには昼ドラ


なんか・・・



居づらい・・・(汗)



数日後、『危険な関係』を観ては


「惹かれない」

「内容がわからない」

「見過ごしたんだけど、前のドラマの結末はなんだったの?」

と、文句を言いながら


「AIRさんは腸が繊細だから暖かいお茶だよね?」


と話し掛けてきてくれるくらい馴染みました


アラ、そんなところ持っちゃって・・・男の子ねぇ


なんてセクハラっぽい事も言われるくらい馴染みました



スーツ出勤は数日でやめ、ジーパン、手ぶらになりました


「なんで手ぶらなの? 手ぶらで平気?」

と言われたこともありましたが


カギも財布もティッシュも携帯も全部ポケットに入ってますからw


と言ったら「魔法のポケットだね」と言われました



・・・



そんな僕の病院日記がこれから始まります


もう、2ヶ月経ってますのでネタは満載です


精神病院ですから


6月23日

どうもこんばんは

きっと夜観ているに違いない・・・ので「こんばんは」


白衣の黒天使AIRおぢさんです



うわ・・・なんかイタイな・・・



僕が働いていた病棟は解放病棟で患者さんが外に自由に出入りできるところなんですが
他の病棟には閉鎖病棟もあり外に出れない所もあるのです





「閉鎖病棟の患者さんが一人居ない」









え!?Σ( ̄□ ̄;)










立って動ける患者さんが居ればそんな事もあります


脱走癖がある人もいますし




雨の中職員達は院内、山を駆け回ります




患者さんは警察に保護されて帰ってきたそうです・・・





閉鎖は大変だなぁ・・・と思った事件でした




一ヵ月後僕は閉鎖病棟の勤務を命ぜられました。


7月8日

精神科なので患者さんは奇声を上げたり独り言を言ったり 
幻覚幻聴を体感したりする 


ある程度意思の疎通が出来る方ももちろんいる 



今回は意志の疎通がある程度できるEさんのことを書きましょうか


Eさんは丸っこく怒りっぽくすぐ泣く 


そんな人 



朝の日課『オムツ交換』にて


「Eさん、オムツ取り替えるYO〜」 

『アンタ、アンタ』 

「ん?」 

『アンタ、せんべいすきだんべ?』 

「OH! すきだYO? 何? くれんの?」 

『・・・・(口パク)』 

「何言ってるかわかんないYO、声出してよ」 



『・・・・(よくわからないジェスチャーと口パク)』 



「はい、オムツ取り替えるYO〜」 


『ちがうんだよ!』 
と怒り出すEさん 



そんな毎日


7月18日

こんな事がありました




たばこをやめるから退院できませんか?


と聞かれました


『たばこ耳に挟んでますYO?』



たばこをやめるから退院できませんかねぇ?



無視かYO!




『ん〜(たばこ臭いなぁ・・・)先生に聞いてみたらどうです?』


・・・そうですかぁ・・・







昼食後










喫煙所でたばこを吸っているその爺さん








数日後また同じ質問をする爺さん・・・







こんな職場




看室(ナースステーション)の外にはヤンキー座りした茶髪ナースがたばこをスパ〜




そんな職場


7月23日

閉鎖病棟に移ってもうすぐ二ヶ月

いよいよ今夜から夜勤です


閉鎖病棟、職員3人だけのドキドキ夜勤です


初夜勤なので緊張しますですよ

16時〜9時半までの17時間半の耐久です



幽霊が出るんですかねぇ・・・やっぱり



患者数約60人に対して3人の職員・・・









愛と勇気と武器さえあれば勝てるかな・・・


8月4日

本日3回目の夜勤です

前回、前々回とベテラン補助さんと組ませていただきまして
ウオーサオーしながらも乗り越えました


今夜は違う人と組むのです



さて、どうなるか



夜勤中にあった話


ナースステーションのガラスに顔を押し付ける老婆





気を抜いた時に見ると怖いです






『カミ・・・カミ・・・25マイ・・・カミ・・・』


と呟き続けます


紙の収集癖があるみたいでポケットや病室にタンマリと紙を隠していますが
まだ欲しがるのです


この人には紙あげないで下さいリストの一人です


一晩中いることもザラみたいです



あげれません・・・と言っても部屋に戻らずにいます


部屋に戻ってもまたドロンとあらわれます





そんな夜勤


9月4日

久しぶりの更新です


まだ生きています



また患者さんの話でもしましょうか



先日こんな事がありました



昼飯の食事介助中



こらEさん(煎餅の人)ちゃんと食べなさい!自分で食べれるでしょっ!


とスタッフの方がEさんを介助しています


なかなか食べようとしないEさん



何度も食べさせようとしていましたが結局食べてもらえず食事終了



その後午後のオムツ交換にて


「あんた・・・あんた〜」
と僕を呼ぶEさん

『こんちは〜、おいこらEさんどうしてお昼食べなかったのさ?』


「@な☆∀○い→った・・・・」


文字じゃあの独特の聞き取れない言葉は表現しにくいですね


『お腹が痛かったの?』


頷くEさん


「あんたが居なかったから言えなかったの」


・・・

そうかそうか、なんて可愛い奴なんだEさん


『そうか〜もう痛くない? 大丈夫?』

とお腹をさすりさすり


『夕飯はちゃんと食べるんだよ?』



と話しながらオムツを交換する




・・・



『おいこらEさん、おいらあんたの隣に居たぞ!』




そんな職場







後日

食事介助中

僕に向かって何か訴えてくるEさん

「☆い@た」


『? 腹痛い ?』


「ハイタ」


『・・・漂白剤?』






























オゲェロ







Σ( ̄□ ̄;)『吐いた!』







『大丈夫かぃ、Eさん』
と駆け寄りポケット付きエプロンのポケットをひろげゲロリンチョを受け止めながら質問してみる



おいおい、大丈夫かよEさん? と看護師が診にきた


げろげろするEさん


『・・・自分のゲロ見てもらいゲロしてるんじゃないだろうねEさん・・・』


と言ってもEさんは反応しない


向かいに座ってるおばぁ二人も何も反応せず飯をがつがつ食ってる



Eさんの食事はもうやめた方が良いとの判断で点滴をすることになりました


(痛くて泣くんじゃないか・・・)



次の日、点滴を打っているEさんをみたら


目の周りが涙で濡れていた





二日後、容態が良くならずEさんは転院した



こんな職場


9月28日

つーことで爺さんの一周忌納骨ツアーをしたわけですよ

夜勤を終え、家に帰りヒゲを剃りスーツを用意し親が車で迎えに来るのを待ちます・・・



『混んでて少しおくれます』とメール


『あと10分で着きます』とメール


んじゃぁ、外で待っててやるかぁ・・・と外に出て



15分後




『どうやら迷ったみたいです』





Σ( ̄□ ̄;)




なんとか指示し、家の前まで車をつけたところで




トイレタイム



・・・



もう・・・坊さんの念仏に居合わせることは無理なんじゃない・・・な時間でした




母方の実家にて念仏→次の日、墓に納骨→永平寺というところに骨もう一個納める
旅館に泊まる→父方の実家に少し帰る→東京に戻る

という二泊三日のツアーです






ハードです(運転手=父が)




父母のトイレも終わり出発です



隣の座席にはマスクをしたテンション↓な人が乗っていました


父曰く風邪なんだとか




寝て・・・寝て・・・寝て・・・



母の実家に帰りました



念仏時間にはやはり間に合わずですよ


親戚一同集まり、外で飯



一年に一度こんな美味いもの食べれるならまた集まるね・・・

と従兄弟が言うくらい美味いもの食べれました



次の日


墓へ骨を納めます



いざ、納骨!




と、いけたらよかったのですが


納骨する所の蓋が開きません


普通はすんなり開くはずなんですか、工具を使っても『てこの原理』を使っても開きません


これ以上は墓石を傷つけてしまう・・・ということで業者さんを呼びます


休日なので業者さん休みです



なのですが墓の近所に住んでいた業者さんの一人(偉い人?)が来て、ゴムハンマ−で


ゴッゴッと叩くとすんなり開きました


蓋の下の土台、つまりコンクリートからカルシウムが溶け出して蓋と土台を固めてしまった



とのこと。



墓から戻り、永平寺へGO




途中、昼食を食べるため 道の駅「九頭竜」というかっこいい名前の休憩所に停まったのです



が、蕎麦しかないメニューのため蕎麦アレルギーの伯母を気遣い、移動





しばらくして、他の蕎麦屋に入店(笑)




店に入ると、鹿の頭の剥製、熊(ヒグマ?)の剥製、虎の敷物がありました



ミステリーゾーンに迷い込んだ模様です・・・





生き物のような・・・肉のような・・・・なんか臭かったです








・・・永平寺到着






デッカー!  Σ( ̄□ ̄)



すごくでかかったのですよ、永平寺の敷地が








メガネッ  Σ( ̄□ ̄;)



メガネ率が高かったのですよ、永平寺の坊さん



・・・特筆するべきところはそんなところかな・・・?



立派な所でした、永平寺






で、旅館




良いところでした




誰も居ない露天風呂で月見をしました・・・



薄雲からぼんやり見える月

切れ間から見える月

優しい光がゆらゆらと雲を透していました


メガネがすこし曇りました





夜遅くまで従兄弟と話をしていました



お題は






最近の若者について・・・







次の日


父の実家に帰ります


十数年ぶりの帰郷です



祖父さん祖母さん、染みが増えたけど元気そうでした




犬がいました



もちろんじゃれます



面白いことにこの犬、人が家に入るまではギャンギャン吠えるのですが
人が家に入った瞬間、そ知らぬ顔です



番犬・・・か?



芸も出来るようで、「握手」というと手をあげます



握手しました



「待て」も出来るようで、目の前にジャーキーを置き待たせ「よし」と言うと食べます




やらせてもらえました




目の前にジャーキーを置きます




目の前にジャーキーを置きます




目の前にジャーキーを置きます






目の前にジャーキーを置きます










目の前にジャーキーを置きます







たくさん並べてみました







楽しかったです♪





愛知万博の帰宅ラッシュもあるので十数年ぶりですが早々と東京へ帰ります










もちろん渋滞に巻き込まれました





家に着き、またトイレを両親に貸しました




そんな納骨でした





ごめんなさい、途中で書くのが面倒になりました(謝)


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